劇団道化座、前代表の須永克彦(筆名/渡辺 鶴)が、9月25日永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝しますとともに、謹んでお知らせいたします。

 


葬儀・告別式は故人・遺族の意向により近親者のみで執り行いました。

ご報告が遅くなりましたご無礼を、何とぞお許しください。


 

前代表須永克彦逝去に、多くの方々からお心を寄せていただきました。

心より感謝申し上げます。 

 


2019.11.22「須永克彦さんを偲ぶ会」より

 

本日は、こんなにも多くの方々にお集まりいただき、ありがとうございました。 

須永さん、よかったね! 

須永にはお野菜をいっぱい食べてもらって、もうちょっと元気で一緒にお芝居をしたかったなあと思います。

なかなかお野菜を食べてもらえなかったので、よくケンカをしました。

 

亡くなる少し前に、ベッドに体を横たえたまま、「僕、がんばってんねん」といった姿が、何ともいじらしく可愛かったです。

本当に穏やかに天国に召されていきました。 

 

 頑固でワンマンな須永ですが、その反面、繊細で細やかなところがあり、ややもすると怖がりの面もありました。 

「普通の人々の普通の生活の中にこそ、ドラマがあるんや」と家族のお芝居をたくさん創作した須永さんでしたので、世の中が荒廃していく様に人々の心が荒んでいく様に、他の人よりも深く傷つき耐えられない思いであったようです。

今、考えると、それが病に繋がったのかなあとも感じています。 

 

経済優先の中、なかなか営利に結びつかない演劇は、どんどん片隅に追いやられ、少子高齢化の影響もあり劇団を維持することは年々困難な状況です。 

 

劇団道化座は1950年に創立しました。終戦の5年後です。世の中はもっと大変な状況であっただろうし、荒んでもいたと思います。      そんな中で、お腹の空腹を満たすのと同じように、心を満たすものが強く求められたのだと思います。 

今、経済が優先し、心が踏みにじられていくことの多い世の中です。そんな世の中だからこそ、演劇をはじめ人々の心を豊かにできる文化の役割が重要であり、存在意義があると思います。 

 

 震災で全てを失ったとき、多くの方が亡くなる中、生き残った私たちは自分の存在意義を問われました。私たちが「生きる」ということは、「芝居をする」ことでしかありません。以後、須永さんは、芝居に命を燃やし続け、その一生を終えました。 

 

続く私たちも、どんなに荒んだ世の中になろうとも、光を求めていきたいと思います。人々の心が健やかで、互いに思いあい、慈しみあえる、平和で穏やかな世の中になるよう、生の舞台演劇を通して、お役に立ちたいと願います。 

ささやかなささやかな演劇活動かもしれませんが、ここにいらっしゃる多くのお芝居に携わる皆さまと共に、これからもお芝居に熱い命を燃やしていきたいと思います。 

 

須永さん、長い間、ご苦労様でした。ゆっくり休んでくださいね~。 

 

本日は、本当にありがとうございました。 

㈳劇団道化座   渡邉(馬場)晶子

  

20191122日「須永克彦さんを偲ぶ会」挨拶より

 


上海話劇芸術センター芸術総監 喩栄軍氏より

 

 尊敬する馬場さん、そして親しい友人のみなさんへ:

 

 

 

今日、私たちはこの上ない悲しみの中で敬愛する須永先生とお別れするにあたって、先生の声と笑顔が目の前に浮かんできます。みなさんもご存じのように、須永先生はオープンで明るく、度量の大きい方でした。これまで生きてきて、先生と知りあいその思いやりと教えをうけたことは私にとって光栄であり幸運でした。私たちのご縁は舞台で始まりました。先生の舞台への情熱と執着、生活に対する注意と鋭さ、後輩への思いやりとご指導、中国と日本の舞台芸術における交流と合作。どれも印象深く、常に心に深く刻まれています。道化座と上海話劇芸術センターの関係も先生の努力によってしっかりと結びつき、互いに収穫のあるものでした。

 

 

 

須永先生は尊敬すべき大先輩でした。先生は父親のように私たちの一つ一つの成功と進歩に最大の関心を寄せてくださいました。同時に、先生は誠意をもって人に当たる良き友人でもあり、私たちの創作に細やかに指導し意見を述べてくれました。先生は中日文化交流の積極的な推進者でした。長年、ご自身の劇団の作品を中国各地で上演し、中国の観客日本の演劇についての理解を広められました。その作品はどれも真摯な感情で中国の観衆を深く感動させ、上海の観客は道化座の作品を熟知するようになりました。これもすべて先生の一貫した努力によるものです。演劇界の仲間にとって、まさに先生の熱意と善良さゆえに、みなが互いに理解し合い友情を強めることができたのです。

 

 

 

2005年、須永先生の提案と推進により、上海話劇芸術センターは第一回ACT上海国際当代フェスティバルを開催しました。須永先生は我々の顧問かつ発起人であり、その作品は何度もフェスティバルに参加し、観客たちを喜ばせ受け入れられました。今では、ACTフェスはすでに15回を迎え、世界数十もの国と地域から数千名ものアーティストがこのフェスティバルのために上海に集いました。これらもみな先生のご指導のたまものと、心より感謝いたします。

 

 

 

2001年からこれまで、私が須永先生と知り合いすでに20年近くになります。先生の快活な笑い声と豪快でこだわりのない性格は、いつも私たちをフレンドリーで親しい気持ちにさせてくれました。日本でも中国でも、私たちはいつも先生の教えと思いやりをしっかり心に刻み、先生とともに過ごした年月を忘れることはありません。

 

須永先生、一緒に酒を酌み交わしたこと、一緒に温泉に浸かったあの時を私はけっして忘れることはないでしょう。私たちがともに舞台で観客の前に立ったあの時を、あなたの豪快な笑い声と親しみのこもった呼びかけを、けっして忘れることはないでしょう。あなたの精神はあなたとともに暮らした一人一人にいつまでも影響を与え続けることでしょう。

 

 

 

たいへん残念なことにこのたびの告別式に私は参加することができません。この弔辞を翻訳代読してくださる中山文先生にとても感謝します。須永先生と道化座が中日演劇交流と合作に行われてきた貢献に、ここで再度感謝の意を捧げます!須永先生は私たちにどれほど多くのことを学ばせてくださったことか!心に刻んでいます!いつまでも先生への感謝を忘れることはありません!

 

 

 

生命は短く、風のように軽やかに、あっという間に過ぎ去って行きます。今、先生は私たちの傍を離れて行きました。しかしあなたが舞台芸術のために行った誠実で、我を忘れるほどの献身的精神と優れた仕事ぶりは、今も私たちの尊敬の的です。先生の正直で立派な人柄は、私たちが学び取るべき価値をもったものです。私たちは深く知っています。私たちが楽しく毎日を送り、良い作品を創り、上演をする。そうしてこそ天国にいる先生の魂を慰めることができるのだと。

 

 

 

須永先生、天国で、清らかな照明が入りました、開演のベルが高らかに鳴り響いています。善良で明るい天使たちはみんなもう席に着いています。そしてあなたの登場を待っているのです。幕がゆっくりと上がり、きらびやかな舞台があなたのために準備されています。須永先生、まもなく上演の始まりです! 

 

須永先生、どうぞやすらかに、おやすみください!

 

 

上海話劇芸術センター芸術総監 喩栄軍

 

二〇一九年十一月二十日

                                                                                                                                            (翻訳:中山文 氏)



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